2016年3月31日木曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「さかしき星」と「闇の化怪」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   さかしき星

すさまじき滄溟(おほわだ)に泛(うか)び漂ふ
小(ち)さく醜く古風なるわれに
さかしき星の青く淋しく揺れ揺れて
波間に泛き沈むをややながめてあれば
生命(いのち)はじじと燃え下(さが)り
水沫(うたかた)ふかく消え亡びむとおぼゆ
かかる淋しき星の稟性(こころ)よ
畏れ崇(たふと)び恋ひしたふはわれなり

   ◇

「うたかた」というと普通は「泡沫」という字を使いますが、ここではふつう「みなわ」と読む「水沫」。もともと「みなあわ」の音変化で、こちらも水のあわ、はかないことのたとえに使われます。

「滄溟」は、ふつうは「そうめい」と読んで、あおく広い海、青海原のこと。

「稟性」は、「ひんせい」、生まれつきの性質、天性の意です。


   闇の化怪

化怪(けくわい)は光れり
土蛍(つちほたる)のごとし
化怪は夥し 尽きざる也
あらゆる夢を産卵しつつ
闇の徂徠(ゆきか)ふこの夜(よる)をあゆめり
悲嘆するは何人ぞ
夜を誰何(すゐか)するあるは何人ぞ
悪(ああ) 化怪は世にみちみちわたれり
われは何故にかく夜を安臥しうるか

   ◇

「怪」とは化け物、変化(へんげ)、もののけ。

オーストラリアの洞窟などにいる、幼虫が青白い光を発するヒカリキノコバエという昆虫が「土蛍」として知られています。日本で土蛍というと、ホタル類の幼虫=写真、wiki=、中でもマドボタルの幼虫を指すことが多いようです。

2016年3月30日水曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「抒情即興」と「かげ」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   抒情即興

あたたかい日 あかるい日
この晴れた秋空高い由比ケ浜
沙(いさご)の上に臥(ふ)しまろぶ
身は熱に口かわき
心は杳(とほ)き神の息吹きに口かわく
あたたかき沙のやはらかさ こまやかさ
天恵(めぐみ)ふかい太陽は
大海(おほわだ)にぴかぴか光る宝玉(ほうぎよく)をばら撒いて
空に眩しい銀網(ぎんまう)をいつぱいに張りつめ
波にくちつけ 沙にまろぶ
あまりに昏黯(くら)い肉身と
病める心と

   ◇

「由比ケ浜」=写真、wiki=は、いまの鎌倉市南部、相模湾に面した海岸。鎌倉時代には御家人同士の激戦地で、処刑場でもありました。

「杳」はふつうは「よう」と読んで、はるかに遠い、奥深く暗いという意もあります。



   かげ

日はまなこ病み
世は痙攣(けいれん)す
叫喚死(さけびし)し
どよもし亡(ほろ)び
なべては皆偶像なるか
時ありて
かげのごとくきたり
かげのごとくそふ

   ◇

「叫喚」は、「阿鼻叫喚」というように、大声でわめきさけぶこと。

「どよもし」の「どよ(響)もす」とは、音や声を響かせる、どよめかせる意があります。

2016年3月29日火曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「抒情即興」と「かげ」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   抒情即興

あたたかい日 あかるい日
この晴れた秋空高い由比ケ浜
沙(いさご)の上に臥(ふ)しまろぶ
身は熱に口かわき
心は杳(とほ)き神の息吹きに口かわく
あたたかき沙のやはらかさ こまやかさ
天恵(めぐみ)ふかい太陽は
大海(おほわだ)にぴかぴか光る宝玉(ほうぎよく)をばら撒いて
空に眩しい銀網(ぎんまう)をいつぱいに張りつめ
波にくちつけ 沙にまろぶ
あまりに昏黯(くら)い肉身と
病める心と

   ◇

「由比ケ浜」は、いまの鎌倉市南部、相模湾に面した海岸。鎌倉時代には御家人同士の激戦地で、処刑場でもありました。

「杳」はふつうは「よう」と読んで、はるかに遠い、奥深く暗いという意もあります。


   かげ

日はまなこ病み
世は痙攣(けいれん)す
叫喚死(さけびし)し
どよもし亡(ほろ)び
なべては皆偶像なるか
時ありて
かげのごとくきたり
かげのごとくそふ

   ◇

「叫喚」は、「阿鼻叫喚」というように、大声でわめきさけぶこと。

「どよもし」の「どよ(響)もす」とは、音や声を響かせる、どよめかせる意があります。

2016年3月28日月曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「死あらむのみ」と「花の中の死」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   死あらむのみ

太陽(ひ)のもと
老幼男女狂奔(ひとびとはし)り煩(まど)ひ
吹くそよ風咳(しはぶ)きゆきすぎ
操兵の菰(らつぱ) 天心に傲(おご)りて
狐いろの小径(こみち) ひんがしに邪(よこしま)を織る
死あらむのみ

   ◇

「咳き」は、せきをすること、またはせきばらいのこと。

「菰」(こも)は、通常は、マコモを粗く編んだむしろ、こもむしろのことを指します。ここでは、兵士を訓練・指揮するラッパにこの漢字を用いています。

「狐いろ」(きつね色)は一般に、名前の通りキツネの体毛のような、薄い茶褐色を指します。


   花の中の死

朱夏(なつ)の日の後園(こうえん)に燃えたつ花は
恒にやはらぎて睡(ねむ)れる也
燃えかつ睡れるは ただ花あるのみ
日はひねもす
ものかなしき小さき花の片丘に光の塔を築く
寒風(かぜ)すさみ 日も亡びし宵(ゆふべ)
睡れる花のさなかに逝かむ

   ◇

「朱夏」は、五行思想で赤色を夏に配するところから、夏の異称として用いられます。また人生の真っ盛り、30代前半から50代前半くらいをそれに喩えていうこともあります。

「後園」は、家のうしろにある庭園や畑。

「片丘」は一般的には、一方が切り立て他方がなだらかになっている丘をいいます。

2016年3月27日日曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「海光」と「災殃は日輪にかがやく」

きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。


   海光

ふか海は もの哀れに日光(ひざし)を招(よば)ひしかば
明(あか)き光 ことごとく蒼海にとり忙(いそ)ぐ
ああ すべて光は波に入らむ
この宵(ゆふべ) 海に散りしく無数の船よ
船に乗れる逞ましき白水郎(あま)だちよ
おん身ら大海に何をか漁(すなど)れる

丘に攀ぢ松吹く風と一(ひとつ)の海景とを眺めてあり

   ◇

「白水郎」の「白水」は中国の地名。水にもぐることのじょうずな者がいたというところから、漁師、海人(あま)のことを白水郎(はくすいろう)というようになったそうです。

「攀」の読みは、ハン、よじる。よじ登る、上の人にすがりつくの意です。


   災殃は日輪にかがやく

災殃(まがつび)は日輪(ひ)にかがやく
黔首(くび)あたま 現生(ここ)もとに生まれいでなば
すさまじき神の息
かならず大地を割らむ
昨夜 寒き夜の曠野(あれの)にたちて
黟き森 眠れる濁江のうち
醜く蟠居(うづく)まれる街巷(まち)より
かすかなる神の奇しき塏笑(あざけり)を聴き得たり

   ◇

「黔首」(けんしゅ)の「黔」は黒い色のこと。古代中国で、一般民衆は何もかぶらず、黒い髪のままでいたことから、人民、庶民のことをいいます。

「災殃」はふつうは、「さいおう」と読んで、わざわい、災難のこと。

「黟」の音読みはエイ、 イ。訓読みは、こくたん。ここでは「くろ・き」でしょうか。

「蟠居」は、蟠踞(ばんきょ)、根を張って動かないこと、その地方一帯に勢力を張っていることをいいます。

2016年3月26日土曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「軽舸の歌」と「心虚しき街頭の散策者」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   軽舸の歌

透明の泪(なんだ)の湖(うみ)に
軽舸(こぶね)泛(うか)べ
ほのぐらき岸の花 真白く花咲きみだれ
夕風は淑やかに水浴を摂る
繊(ほそ)りし水竿(みさを)
蒼白き漣(さざなみ)の下腹を転(かへ)せども

日輪(ひ)は逝き 私語(ささめき)をのみて
面(おも)伏せる自然(もののね)の顔の上
舸(こぶね)は黙(もだ)しあゆみ
その歩武永遠(あゆみとこしへ)に遅き哉
噫(ああ) 明星よ
おん身が冷たき瞳を遁れいづる泪の雫は
わが舸(ふね)の水竿に泊(は)て 光りぬ

わが軽舸(こぶね) いづくに赴(ゆ)くや

   ◇

「軽舸」は、ふつうは軽快に走る小舟、舟足の速い舟の意。

「水竿」は、水底・岩などを押して、それによって船を進める棹。普通、竹で作ったものを用います。

「遁れ」は、逃れ、と同義で、のがれること。この場合は、好ましくない状態になるのを回避する、といった感じでしょう。「冷たき瞳を遁れいづる泪の雫」というのは、なかなか意味深長な美しい表現です。


   心虚しき街頭の散策者

視神経のいちじるしき疲憊(ひはい)と羞明(しうめい)と
あまりに夥く凝視したるか
街頭には黔首とその家畜とその自動車とがあり
柏は万葉(ばんえふ)を日光(ひざし)に笑(ゑま)ひ
国境線は路傍に頑迷(かたくな)の枯座をつづく
なにゆゑに微風はかく潜行するか
われは心虚(こころむな)しき街頭の散策者にすぎざる也

時ありて 耳辺(じへん)に水声(すいせい)す
猗(ああ) かかる大高原の途上において
逆巻き嗔恚(いか)る水流音をわれ感ず

なにゆゑにかくわれは心忙(こころいそ)ぎ逍遥するか
こころ 縛(いまし)められたるか
この瞳閉ぢざるべからず

   ◇

「黔首」は、人民、庶民、たみくさ。「黔」は黒色のことで、昔、中国で庶民はかぶりものをせず黒髪を出していたことに由来します。

「枯坐」はものさびしくひとりですわっていること。ここでは「国境線」がすわっています。

「水声」(すいせい)は、「谷川の水声」というように水の流れる音。耳もとに水の音がしてきたのでしょう。

「瞋恚」(しんい、しんに)は、怒り、仏教では、十悪の一つで、自分の心に逆らうものを憎み怒ることをいいます。

2016年3月25日金曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「ある跪拝のときに」と「畏怖」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   ある跪拝のときに

そば降る小雨は緑林(ぬすびと)のごとく忍び来て
泪(なんだ)の搾木(しめき)を捉へしか
ああ 追憶(おもひで)は身内に温流をめぐり
眼も赤く哭きはらし
息たえだえに
われは跪拝して 生存を感謝してあり
神よ おん身ぞ逝くべけれ

   ◇

「跪拝」(きはい)は、ひざまずいて礼拝すること。

「緑林」は、前漢の末期、王莽(おうもう)が即位した後、王匡(おうきょう)・王鳳(おうほう)らが窮民を集め、湖北省の緑林山にこもって盗賊となり、征討軍に反抗したという、「漢書」にある故事から、盗賊のたてこもる地、また、盗賊のことをいいます。

「搾木」は、2枚の板の間に植物の種子などを挟んで、強く圧力をかけて油をしぼり取る木製の道具。身をしぼられるようなつらい状態のたとえにも用いられます。


   畏怖

心の皮膚(はだ)青ざめ
あらき風を忌(い)む
熱き泪(なんだ) 心の眼(まなこ)より転(まろ)びいで
薄暮(くれがた)の流沙(りうさ)に交らひぬ
ああ 内なる火 赤赤と火(も)え立ちて
繊(かぼそ)きたましひの身を燬(や)きしか

われは西空(せいくう)に泛(うか)べる瀟灑(せうしや)なる新月を覩(み)たり
夜風は呼吸(いき)にわろければ
青き帽誇(ほこ)りかに飾りて
暖かき思念の寝床(ベツド)に忙がなむ
晨星(しんせい)はいつ消ゆべきか
夜半(やは)にも上る黒色の太陽あらめ
心の肌膚(きふ)は繊弱(かよわ)くして
叱嗟(ああ) いつか亡びむ身ぞ

   ◇

「燬」の読みは、キ、やく。やきつくす、火の勢いが激しいなどの意味があります。

「瀟灑」は、すっきりとあか抜けしているさま、俗っぽくなくしゃれているさま。

「晨星」は 明け方の空に残る星のことです。

2016年3月23日水曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「崖上沙門」と「無言礼拝」

きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   崖上沙門

衣赤き沙門は稚く ただひとり
瞑目(めとぢ)て崖上(がいじやう)に彳(たたず)めり矣
断層面に八月の日光(ひ)は驕り
夏空(そら)は懈怠(けたい)を孕み 汗ばみたり
閑古鳥は風防林に蘭秋(あき)を呼び
青春の蜥蜴(とかげ)らは
緋に燃えたる花崗巌(くわかうがん)の傷趾(きずあと)に
緑色の飾紐(りぼん)を結べり
かかるとき
南風は大盗(たいたう)のごとく闖入しきて
さてかろく咳(しはぶき)して 出で去りぬ
草原(くさはら)は枯草熱に疼(いた)みて 屡(しばしば)傷痛の銀波をあげ
山脈は肩そびやかし
おもむろに延び 欠呿(あくび)す
沙門は瞑目(めとぢ)たり 永劫に

   ◇

「沙門」は、サンスクリット語の音写で、「つとめる人」の意味があります。ゴータマ・ブッダとほぼ同時代に出現したインドの新たな思想家たち、あるいは、出家して修行を実践する人たちを指します。

「懈怠」(けだい)は、仏教用語では、仏道修行に励まないこと、怠りなまけること。六大煩悩の一つあるいは二十随煩悩の一つとして数えられています。

「閑古鳥」は、カッコウ=写真、wiki。鳴き声が物悲しいので、寂れていること、寂れた店を閑古鳥が鳴いていると表現されます。

「蘭秋」は、ふつうに読めば「らんしゅう」、秋のはじめのことです。


   無言礼拝

竝樹街(なみきがい)に鉄軌(てつき)あり
長剣のごとくひかり 延び延びと
地平の焦点さして夙(と)く走れり
夜 月光ここもとに泊(は)てて
蒼白(あをじろ)きアンダンティノを綴る
沈黙は僭主(せんしゆ)のさまに世界(よ)を領(しろ)し
「時」は光の縷(いとすじ)を綱渡り
永劫さして忙げるなり
珍事(こと)ぞおこれる
万有(もの)の響 音 擾(さや)ぎわたりて地軸を揺蕩(ゆすぶ)り
災殃(まがつび)のごとく奇襲しきたりしかば
夜の花 不慮に眼ざめ
深林(もり)の若葉等は相抱擁(あひいだき)て吐息つき 慴伏(せふふく)す也
しばしの後 何者かの悲鳴は
擾乱の昏迷に口火点(つ)け
怕るべき叫喚世界(よ)を聾(し)ひむとす

されど視よ一分時(いつぷんじ)の後
何事かありたる

万物折目正しく静坐し
忍者(しのびのもの)の若(ごと)くにその声を呑み
樹(こ)の間ふかく
沈黙と黯黒(あんこく)とは密通のくちつけに心狂へる

無言礼拝(むごんらいはい)のとき いまぞ わが子らよ
わが子らよ

   ◇

「アンダンティノ」は音楽の速度標語で、アンダンテ(歩くような速さで)よりやや速めに、の意。「怕(おそ)る」は、気遣い不安がる、危ぶみ心配すること。

「僭主」は、前7世紀の後半から前5世紀の前半にかけて、ギリシアの多くのポリスに現れた独裁的な支配者の総称です。英語のタイラント(tyrant)はこれに由来します。彼らはほとんどが貴族の家柄でしたが、貴族政の乱れに乗じてこれを倒し、非合法な独裁政を打ちたてました。

「慴伏」は、ふつう「しょうふく」と読んで、おそれひれ伏すこと、勢力におそれて屈服する意があります。

2016年3月22日火曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「羞明」と「訪問」

きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   羞明

孟夏の十字街をおもへ
神ありて ここに街樹(き)を現はし
幹ありて水枝をたもち
枝ありて若葉をささげ
葉ありて果実をまもり
果(み)ありて核種をふせぎ
核ありて細胞をみとれる
細胞に性染色体のありて
稟性(ひんせい)のいとなみに勤(いそ)しめり
これ事実也
類推の至上指令ぞ
風は街頭に亡び
日輪(ひ)は高く頭上に盈(み)ち耀(かがや)き
人馬なく 鳥語なく 色相なく
物象に陰影あるなし
世界(よ)は あげて銀製の大坩堝(おほるつぼ)のみ
わが神経 かかるとき 羞明し歔欷(きよき)する也

   ◇

「羞明」は、まぶしいこと、まぶしさ、異常にまぶしさを感じる病的な状態をいいます。

「稟性」は天性。

「歔欷」は、すすり泣くこと、むせび泣きのことです。


   訪問

誰(た)ぞや 風 黒(かぐろ)きこの宵
内なる扉ほとほとと打ちたたくは
こころ 重傷して昏睡(まどろ)めり
こころ 夢の環境(めぐり)の彼岸(かのきし)に埋没(うづも)れてあり
あかき灯(ひ)のもと邇(ちか)くつどひて
わが懇切なる兄弟姉妹(けいていしまい)ら
夜(よ)の歓会(まとゐ)に酔(ゑ)ひぬるを
ああ 誰ぞ軟かき黒夜(こくや)の空気かき乱して
こころ憎くも忍び音(ね)の訪問(おとづれ)は
灯の侍童(じどう) 赧(あか)く愕ろき
淑やかに延びちぢみ
冷淡なる時圭(とけい) あしおと高く
人人 一旦に死を孕まむ
誰ぞや ほとほと 扉きしめき
物象ことごとく いま戦慄す

   ◇

「昏睡」は、現在ふつうには、外界の刺激に全然反応せず、反射もほとんど消失した最高度の意識障害のことをいいます。

「侍童」は小姓のこと。

「赧」は、あからめる、顔が赤くなる、恥じるなどの意があります。

2016年3月21日月曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「真珠母の夢」と「悲哀」

きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   真珠母の夢

こころの閲歴いともふかく
手さぐりでもてゆけば
明銀のその液体のうち
いろさまざまの珠玉あり
黄と藍は泪ぐみ
身もあらず臥(ふ)しなげき
緑と樺は泛(う)き泛きと
なか空に踊りぞめき
そこ深く黒玉坐して動かざるに
紅ひとり笑みつつもたかだかと泛み遊べり
さて 曇り玉ひとつ
泛きかつ沈み
蕩揺のしづけさに酔ふ

真珠母(しんじゆも)の夢

   ◇

「真珠母」(しんじゅぼ)は、真珠層ともいわれ、貝類などが外套膜から分泌する炭酸カルシウム主成分の光沢物質をいいます。

「樺」の読みには、かにわ、かば、かんばがあります。かんばは、カバザクラ、シラカバの古名ともされます。上代には、舟に巻いたり器に張ったりした、その樹皮をいいます。万葉集に「しきたへの枕もまかず、樺巻き作れる舟に」。

「蕩揺」(とうよう)は、ゆり動かすこと、ゆれ動くこと。


   悲哀

羸弱(るゐじやく)は この身に警策を打ち
心は 喘鳴(ぜんめい)して呼吸(いき)途絶えむ
心とともに沙(いさご)深く身を横臥(よこた)へてあれば
仲霄(そら)を別離(わか)るる日光(ひざし)うるみ
黒髪(くろがみ)おのおの寒慄(さむ)けく立ちあがり
なにものか わが家(や)を遁避(にげさ)らむとする若(ごと)し

   ◇

「羸弱」(るいじゃく)は、衰え弱ること、からだが弱いこと。

「警策」は、禅宗で座禅中の僧の眠けや心のゆるみ、姿勢の乱れなどを戒めるため、肩などを打つ木製の長さ1メートルほどの棒。

「沙」は、 すなのことです。

2016年3月20日日曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「騒擾」と「雲」

きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   騒擾

騒擾は 高きより来る
黎民(ひとびと) 聾(みみし)ひたるか
聾(みみし)ひなば 眼(まなこ)をみひらけ
薔薇(さうび)の花の紅(あけ)をうれしみ
八月の日の日の光の銀色にうち興じ
深く谿間黒燿の黝(くろず)めるをめでよかし
眼(まなこ)疲れなば 爾が嗅官(きうくわん)を使用せよ
かの味識(みしき)にても事足れるを
爾は訖(つひ)にその黄ばみ波うてる肌膚(きふ)の
かのいと荒き感触を斥けむと欲(ほ)りするか
輪環(りんくわん)の久遠をめぐりめぐりて
天上より降り来るかの騒擾(どよもし)を如実(まま)ならしめよ
または 爾の生をして 一旦
かなたに住居せるかの嬌憐と媾引(あひびき)せしめよ

   ◇

「騒擾」(そうじょう)は集団で騒ぎを起こし、社会の秩序を乱すこと。

「黎民」は、一般人民、庶民、万民。

「輪環」は、数学的には、ドーナツのような形をしたトーラスのことをいいます。


   雲

戦闘は大気緑明のもなかに在り
夙(と)く参加せざらめや
赤く爛(ただ)れし裂傷を繃帯(はうたい)し
その輝く銀冠を逆立てるよかし
日に涙(なんだ)あり
微風の跑(だく)を趁(お)ひ従(お)ひて
おんみは一万尺の巌頭(がんとう)に来り彳めり
おんみは戦線杳(はる)かに濁血(だくけつ)の不可思議を聴く
軟かき足なみを攮(ぬす)めよかし
泪ぐめる夕暮方は早も波打ち来れり
かくて夜の捷利必ずこれに次がむ
おんみは今や形態(かたち)なき白馬(はくば)の手綱を牽(ひ)く

   ◇

「跑」は、走る、駆ける、逃げる、歩く、奔走する、駆けずり回るといった意。

「攮」は、本来は(短剣や銃剣で)突き刺すこと、短剣、あいくちのことをいいます。

「捷」は訓読みで、かつ、はやい。「捷利」(しょうり)は、勝利と同義です。

2016年3月19日土曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「夏落葉」と「少人に予ふる歌」

きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   夏落葉

無辜と純鮮と
その水無月の日の後園を
白日(まひる)の鐘音(かね)いと疎慵(ものう)げに手まさぐり
日の光 行潦(にはたづみ)の面(おもて)に驕(おご)りて
かがやく 逞(たく)ましき 老はてたる
檞樹林(かいじゆりん)第一樹枝の若葉だち
しらじらと 燃えたちしとき
仄昏(ほのくら)き榛樾(しげみ)のほとりを 夙(と)く翔(かげ)り
はたと墜つる朱夏(なつ)更けし朽葉(くちば)ありけり
そのひびき 地を揺(ゆ)りし

   ◇

「無辜」(むこ)は罪のないこと。

「行潦(にはたづみ)」は、雨が降ったりして、地上にたまり流れる水。

「檞樹林」は、「檞」(かしわ)の林か。

「榛」は、はしばみ、雑木や草が群がり生えること、やぶ。

「樾」は、木陰の意だそうです。


   少人に予ふる歌

八月は野の白宵(ゆふべ)に心おごりたるに
都市(みやこ)よりの早乙女(さをとめ)だち
山ふもと 洋館は白き仔羊(こひつじ)のごとく
七つの若き瞳をまばたき初めてけり
その大いなる聖手(おんて)を延して 今や
神は海上遠く夕映(ゆうばえ)の黄金砂(きんさ)を鏤(ちりば)めたまひぬ
爾(きみ)が椿萱(かぞいろ)も 爾(きみ)がよく秘めたる妹好(ひと)も
胸疾(や)みたまふ女兄(あねぎみ)も 仇敵(きうてき)の一団も集ひしぞ

憖(ああ) まんまろき青(あを)大空のもと
しどけなき砂丘に攀(よぢのぼ)り
夏夕風(なつゆふかぜ)の赴くなべに
哀傷(かなしき)かぎりなき頌(うた)に生きよ しばしなりとも

   ◇

「椿萱」は、椿堂が父を、萱堂が母をたとえて、父母のことを指します。

「憖」は、ふつうは「なまじ」「なまじい」と読みます。中途半端であるさま、いいかげん、なまじっか。しなければよかったのに、という気持ちで用いられます。

「頌」は、「しょう」と読む場合、古くは、中国最古の詩集『詩経』で、全詩を六つのジャンル(六義)に分けたうちの一つで、宗廟の祭礼における舞楽の歌をいう。「ほめうた」を意味します。

特有の文体で、農事の神々、祖先、君王の盛徳などを形容し、賛美、頌揚、祈求するものでした。後に、対象が鬼神帝王から一般人や普通の事物へと拡大され、漢の揚雄の「趙充国頌」、晋の劉伶の「酒徳頌」、唐の韓愈の「子産が郷校を毀らざるの頌」などが作られました。

2016年3月18日金曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「王領のめざめ」と「驕慢」

 きょうも『転身の頌』から詩を二つ。

  王領のめざめ

人人よ 王領(おうりやう)こそは覚醒(めざ)めつれ
時ありて 王土の番卒は
緇(くろ)く黄なる抱服をその身に纏ひ
夜守(よもり)の燭(しよく)をかかげ
あけぼのに 一位の森を巡警す

日出で 月逝(さ)り
森には露かがやけども
赤く爛(ただ)れし王土の春は
かつてひとむらの野の花の花咲き狂ふ
繁殖の怡悦(よろこび)だに遞(つた)へたることもなし
また 皎(しろ)き日光(ひのひかり)の鋭(と)き香ありて
吹上(ふきあげ)の水沫(みなわ)に噎(むせ)べど
樹(こ)の間に光る幻覚(まぼろし)の彩(あや)のみ栄(は)えて
青き小禽の囀りだに得聞えず

いま 昴宿(すばる)いで
夕風 疾(はや)く駛(はし)り
膨張(ふくら)める地平の遥か杳(はる)かかなた
あわただしき夜の跫音(きようおん)をきく
あはれ 王領の濁れる春宵(よひ)に
わが女王(によわう)らも 王子らも
いちはやく めざめたり
おそらく永劫に覚醒(めざ)めしならむ

禽謝(とりしや)し花凋(しぼ)み
天然と中宵(ちゆうせう)としばし抱擁(いだ)きて
哀楚(かなしみ)や幽欣(よろこび)の歓会に楽しび耽けるとき
王領こそは覚醒めつれ
そはおそらく 永劫に覚醒めしなるべし

   ◇

「抱服」は、もともとは「捧腹」。「捧」はかかえる意で、ふつう、捧腹絶倒というように、腹をかかえて大笑いするさまをいいます。。

「遞(逓)」には、逓信、逓送というように、横へ横へと次々に伝え送る意。

「遥か」は遠くまで眺望が開けているさま、「杳か」には奥深く暗いさまを表すようです。


   驕慢

蘭引(らんびき)の上に踊る心
梟木(けうぼく)の傍(かたへ)に はた 彳(たたず)む心
心は天地(あまつち)の魂に倚り加餐(かさん)し
また 宇宙新教徒の気軽き微笑(ほほゑみ)を企つ

されど神よ 多く災(わざはひ)する事なかれ
開けゆく夜の間の小さき叫び
晨星(しんせい)とともに消えはてむ迄

   ◇

「驕慢」(きょうまん)は、おごり高ぶって人を見下し、勝手なことをすること。

「蘭引」は、ランビキ、兜釜(かぶとがま)式焼酎蒸留器。江戸時代に薬油や酒類などを蒸留するのに用いた器具、「梟木」はさらし首をかけておく木、獄門台のようです。

「加餐」は、養生すること、健康に気をつけること、「時節柄御加餐ください」。

「晨星」は、 明け方の空に残る星のこと。

2016年3月17日木曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「夜の思想」と「紅宵」

 きょうも『転身の頌』から二つの詩を読みます。   

   夜の思想

なにものかあり 鬨声(ときのこえ)はわれを連行(はこ)ぶ

われは 瓦斯体(がすたい)のごとく揺曳(えうえい)す
われは 数多(かずおほ)くの世界とその前後(あとさき)とを瞥(み)たり

昏瞑(やみ)はしばしば悲鳴をあげ
その下霄(しもぞら)に黄色の月ひとつ泛べる
微風(そよかぜ)は心をして温情ならしむ歟(か)

あはれ おびただしきわが心の産卵哉

   ◇

「揺曳」(ヨウエイ)は、ゆらゆらとただようこと。また、音などがあとまで長く尾を引いて残ること。

「昏瞑」(コンメイ)は、暗いこと、暗くてようすのわからない意。


   紅宵

野にいでて
淑(しと)やかに
吐息(といき)すれば
昊天(そら)は沈み
地は臥(ふ)しまろび
落日(いりひ)のみ
きらきらと
世界に膨張(ふくら)む

   ◇

題の「紅宵」はコウショウと読んでおこうと思います。

「昊天」はふつう「こうてん」と読んで、夏の空、広い空、大空のことをいいます。

「まろび」は、まろぶ、転ぶ。ころがる、ひっくりかえる、倒れるといった意味です。

2016年3月16日水曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「白馬の歌」と「洞穴を穿て」

きょうも『転身の頌』から二つの詩を読みます。   

   白馬の歌

稚(いとけな)き造化(もの)われら
敬虔(けいけん)の心一途(いちづ)に捧げまほしく
薄暮(はくぼ)の河畔にぬかづく
きみの白馬(はくば)にうち騎(の)り
殉情の星より僥倖(げうかう)のごとく降(くだ)りたまへる
岡巒(やま)も艸木(き)も深林(もり)も野もいま怡悦(よろこび)に顫(ふる)へたり
瞳は繊(かぼそ)く麗はしく柔(やさ)しげに謙仰しつつ
爾が崇貴(けだか)き白馬を仰ぎ胆望(み)たり
烏呼(ああ) なのものの痴言ぞ 蕪穢(ぶわい)するは
跪坐して久しく己(おの)が脈搏をとるわれに
なにものぞ これ亡びゆく枯葉(こえふ)のみ
爾(きみ)は遠来(きたれ)り
白馬の騎士 至上なるもの
もろ手もて爾(おんみ)を抱擁(いだ)かむ

   ◇

「巒」は、音読みでは「ラン」、やまなみ、山の連なり、峰を意味します。

「蕪穢」は、雑草などが生い茂って、土地が荒れていることをいます。 「最も近き道は、最も蕪穢なるものなり(西国立志編 )」


   洞穴を穿て

暟(しろ)き朱明(まなつ)の高原にいと深き洞穴を穿て
雲雀(ひばり)は露けき叢(くさむら)に狂ひ
地蜂は垂直に出陣すなるを

大いなる洞穴を穿(うが)ちをはらば
猴利根(かしこ)く喧擾(かしま)しき老幼男女を埋没せむ
夕日 巒巒(やまやま)を血塗りて
白日のいともの静かなる殺戮もはてなば
亡きもののために夜鳴鳥は歌うたはなむ
このとき爾(きみ)は 青く悩める弦月の
神経質なる微笑に逢着するならむ

   ◇

「暟」は、ふつう「カイ」「てらい」と読みます。霜や雪が一面、白く見えるさまを「皚 皚(がいがい)」ともいいます。

「朱明」は、ふつうは「シュメイ」と読み、夏のこと、太陽をさすことも。類語に、朱夏があります。

2016年3月15日火曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「塵」と「青き隕石」

きょうも『転身の頌』から二つの詩を読みます。   

   塵

塵ひとつ泛びたり
日輪(ひ)はいときらびやか哉
航空騎士敢行歟
光れる天童の巡察歟

虔(つつ)しみ畏(いやま)ひて ひたすら
天来のおのが所持せざる力を頌(ことほ)ぐ

   ◇

「騎士」とは、もともと、中世ヨーロッパにおいて荘園の支配を保障される代わりに騎兵として戦うことを義務付けられた身分のことを指します。

「歟」の訓読みは、か、や。文末の助字、疑問・反語を表す助字として用いられます。「頌」には、たた(える)、ほ(める)といった訓読みがあります。

「天童」は本来、仏教の守護神や天人などが子供の姿になって人間界に現れたものをいます。


   青き隕石

白き光おびただしく放てる碧き隕石の墜落は
巷に悲鳴の花咲かせり
此時賢人来り 多く蒼人艸(たみくさ)を呼ばひて曰(い)へりき
子らよ 悲しき愕(おどろ)きもて神は爾(おんみ)の胸を燬(や)けり
出でよ 戸外(こぐわい)に趁(わし)れ 俯聴(ふてい)せよ
仰げよ 彳めよ 将た祈禱(いの)りてあれ
神はわが世の扉口(とぐち)に在(い)ませりと

   ◇

「趁」の読みは、ふつう「おう」「チン」。追う、という意味があります。「俯聴」は、「ふちょう」ともいい、うつむいて耳をすます意味です。

「蒼人艸」は、民草(たみくさ)、青人草(あおひとくさ)、すなわち、人民、蒼生、国民のことなのでしょう。人が増えるのを、草が生い茂るのにたとえた言葉。日本書紀(神代上訓)に、「葦原中国(あしはらのなかつくに)に有らゆるうつしき青人草の」とあります。

「俯聴」の「俯」には、うつむく、身をかがめて下を向くという意があります。

2016年3月14日月曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「AB INTRA」と「汚点」

きょうは『転身の頌』から二つの詩を読みます。

   AB INTRA

降り積もる深雪の中の太陽より
惨死せる縞蜥蜴(しまとかげ)の緑金の屍(しかばね)より
暴風の日の林間湿地より
初夏陽炎(やうえん)の瞳の契点(さなか)より
沸きのぼれる銀光水液(ぎんくわうすゐえき)
流動体結晶の水沫(みなわ)の果
はた悉皆(あらゆる)幻覚の心なす 翼ある天童

   ◇

「ab intra」は、ラテン語で「内部から」の意味。逆は「ab extra」だそうです。

ニホントカゲ=写真、wiki=は、幼体の体色が黒や暗褐色で5本の明色の縦縞が入っていることから「縞蜥蜴」と呼ばれることがあります。


   汚点

赤き五月の満月の手綱のもと
万物は皎(ましろ)く烈しく息つかひす
連峯(れんぱう)は軟らかく小胸膨張(むねふくら)み
隠逸に足うら延ばせる大傾斜面也
瞑目(めとぢ)たる風防林の黒衣(こくえ)の裾めぐり
銀声して狂ひ奔(はし)る幽澗あり
聴け 正義に枕(よ)る水車場の雄叫(をたけび)を
色青さめ吐息する谿谷の夜風の醜状(さま)を
ああ かかる夜爻(よさり)
世界より世界を貫きて
叫(おら)び翔(かけ)る月夜烏(つきよがらす)の悲鳴と
白布(びやくふ)の汚点のごときその影と
勁(つよ)く遒(つよ)くわが心を彳立(たたず)ましむ

   ◇

「澗」(カン)は、谷、谷水のことを指します。「爻」(ギョウ、コウ)は基本的に「まじわる」の意。「勁」には、ぴんと張りつめているイメージ、「遒」には、せまる、近づいてくる感じがします。

2016年3月13日日曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「晶光詩篇」

きょう読むのは「晶光詩篇」です。タイトルに「sweetnessは強調より生れ出づ。――ウオルタア・ペイタア」という添え書きがあり、短詩12編で構成されています。

霄(そら)は悲しび
遊星の眼を哭(な)きはらし
さめざめと
銀の泪(なんだ)す 卯月の夜!

地平は紫に暮れ
人在らず
雲駛(かけ)りゆけば
丘はしきりに小躍りすも!

秋の日 黄にただれ墜ちて
霊(こころ) まんまろく跼蹐(かが)みたり矣
万象(もの)の光亡(ほろ)びはて
呼吸(いき)だに陰影(かげ)もなきに!

こころの重錘(おもり)落ちたり
第三の小窓をあけ放てよ!
瑠璃いろの夏の世界を
爾(おんみ) ただ哀しき白鳥にてこと足らむ!

薄暮(くれがた)の街路 銀(しろがね)にひかり
雙刀(さうたう)の相交線(そうかうせん)をつくるなかに
雲よりうまれし一鳥(いつてう)は
嗟呼(ああ) かくありて惨死するならむ!

小さき鳩の叫びごゑ!
明色(めいしょく)の背景に起き臥しし
大きくたかく力つよき
わが呼吸(いき)のものかげ!

たましひは夜の月にやどる
黒瞳(ひとみ)には緑の髪にほひぬ
爾(きみ)が佳人(をみな)の銀鐶を巵(さかつき)に投じなば
あらゆる没落を感じずべき邪(か)

かぎりもなき悲哀を汲み収(と)り
かぎりもなき沈黙の壺に封じぬ!
いく世の春を睡(ねむ)りさり
なほわれは仲夏白日(なつのまひる)の清乱を恋ひしたふ

大気はあけぼのに酔ひて
黔(かぐろ)き家竝(やなみ)みだらにも波うてり
赤き木の実 地に墜ちしかば
旻序(あき)はつひに逝(みまか)りしか!

やはらかき雙(ふた)つの手 半霄(そら)をすべり来て
顫(ふる)へたる心をとらへぬ
泪(なんだ)の浴泉をたちいでて
かく美装(びさう)せるわれなり!

市民の跫音(あしおと)は恒にもの悲しくまろび
小鳥は哀憐(あいれん)の灯を
白日の虚空に点ず!
こころ一定(いちぢやう)にもとめやまねど

青く哭しめる
世のすべての女性(によせい)をかきいだかば
女人らはたえざる楽奏に嬉(うれ)しみ
かつは おどろおどろしき朝暾(あさひ)を嗤笑(わらは)む!


「晶」は、きらきらと輝く意。また、原子が規則正しい配置をとった鉱物の形をいいます。なぜか私は、現代の発光ダイオードの光を連想しました。

「霄」は、大空、はるかな天のこと。音読みは、ショウ、セウです。「卯月」は、陰暦四月の異名、卯の花月、夏の季語です。

「駛」の音読みは「シ」、訓読みはふつう「は-せる」「はや-い」で、馬を速く走らせるときなどに使われます。速く走ることの意で、「駛走」「急駛」などの単語もあります。「急駛せる車の逆風(むかいかぜ)に扇(あお)らるるが」(紅葉・金色夜叉)

「跼蹐」は「跼天蹐地」(きよくてんせきち)の略で、ふつうは「きょくせき」と読みます。おそれつつしんで、からだを縮めること。 「この不自由なる小天地に長く跼蹐せる反響として」(福田英子『妾の半生涯』、明治37年)

「重錘」は「じゅうすい」とも読まれ、特に分銅などのような錘(おもり)のことを指すようです。「瑠璃いろ」は、やや紫みを帯びた鮮やかな青。

「雙刀」は、中国の刀の一種で、一つの鞘(さや)に二つまたは複数の刀身が入っているものをいうそうです。

「鳩」の名は、パタパタと飛び立つときの音に由来するようです。「九」+「鳥」の「九」は鳴き声(クルッククゥー)からという説も。漢字「鳩」のキュウ(漢音)やク(呉音)も、鳴き声に近い感じがします。

古墳の石室から銀鐶が見つかった、というような話を聞くことがあります。ここの「銀鐶」とは古代、指などに付けた輪の形をした飾り、あるいは、玉や鈴にひもを通して肘のあたりに巻いた装身具のことでしょうか。

「巵」は「し」ともいい、むかし中国で使われた酒杯。鉢形で、両側に環状の取っ手がある大杯をいうそうです。

「仲夏」は、夏の3か月の中の月、陰暦五月の異名。「白日」は、真昼のこと、白昼。「白日夢」という言葉もあります。

「旻」は、「あきぞら」の意味。日光が淡く、心細い秋のそらをいいます。「旻序」は、秋節、つまり、秋季、秋の季節という意もあるようです。

「半霄」はふつう「はんしょう」と読み、中天、中空、半空、空のなかほど、などの意味だそうです。「美装」は、美しよそおい。『或る女』(有島武郎)には「生活の美装という事に傾いていた」とあります。

「跫音」は「キョウオン」とも読み、足音のこと。足音がかつかつと聞こえるさまを「跫音戛然」(キョウオンカツゼン)といいます。

「朝暾」は「ちょうとん」とも読んで、朝日、朝陽のことを指します。国木田独歩の『愛弟通信』に「真紅の朝暾瞠々として昇りそめたり」とあります。

2016年3月12日土曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「癡者をして」と「死と愛と」

きょうも『転身の頌』から二つの詩です。

   癡者をして

臨終(ほろび)ゆく王者の喔咿(ほほゑまひ)は哀切(かなし)くとも
その泪(なんだ) ことごとく透明なるを
多数(おほ)き市民の歓笑をしたはむは
なほ訖(つひ)に瞑目(めとぢ)て遁逃(にぐ)るがごとけむよ

癡者 われらをして
ただひとたびの孤寂(ひとり)あらしめよと祈る也

   ◇

「癡者」(おろかもの)の「癡」(ち、痴)は、仏教が教える煩悩のひとつ。愚癡(ぐち、愚痴)、我癡、無明ともいいます。 万の事物の理にくらき心をさします。仏教で人間の諸悪、苦しみの根源と考えられている三毒、三不善根の一つ、という意にも使われます。


   死と愛と

小胸ひろげて
死なむ哉
生命(いのち)は中有沓(ちゆううはる)かに翔(と)び
かの聡明(さか)しき星辰(ほし)に泊(やど)かるべき耶(か)
愛には天恵(めぐみ)あり
我に死あり

   ◇

「中有」は仏語で、四有(しう)の一つ。死有から次の生有までの間、人が死んでから次の生を受けるまでの期間を指します。7日間を1期とし、第7の49日までとされます。一般に、空中、空間の意味にも使われます。

2016年3月11日金曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「愛は照る日のごとし」と「怕しき夜の電光体」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ。

   愛は照る日のごとし

神の聖座に熟睡(うまい)するは偏寵(へんちよう)の児(うなゐ) われ也
人畜(もの)ありて許多(ここだく)に寒夜(かんや)を叫ぶ
まことその叫喚(さけび)を聴くは我が身のみ
心かなしく枯坐(こざ)しつれば
狂譟(をめき)は しばし金色の愛なりけるを
あはれ 万有(すべてのもの)の稟性に光(みひかり)あれ

野(や)に躡詰小止(ふみたけびをや)みなけれど
雄叫(をたけ)ぶは夫(か)の力なき山野の人畜(にんちく)のむれにのみ歟(か)
その吠嘷(さけび) かならず惨(いた)ましき哉

わが愛は照る日のごとし
夜は きはみなく寒く
暗黮(やみ)にして人畜恒に哀嗷(かなしびな)けども
ただ道(い)はむのみ
その惕号昧爽(おらびよあけ)とともに消え逝くべしと

   ◇

「偏寵」は、特別にかわいがること、非常に気に入られること。

「許多」はふつうは、「女御・更衣あまたさぶらひけるなかに(源氏 ・桐壺)」のように「あまた」と呼んで、たくさん、多数、非常に、といった意です。

「躡」には、足音を忍ばせる、追跡する、尾行する、「惕」には、危険や誤ったことに対して心理的に警戒する、用心するといった意味があるようです。

「惕号昧爽」はよくわかりませんが、「惕」はつつしむ、「号」は叫ぶ、「昧爽」は、明け方のほの暗いときの意味があります。


   怕しき夜の電光体

電光 宵夜(よる)を光れりけり
色碧(あを)くいと凄惨(すさま)じきその放射熱哉
電光を凝視(みつ)めなば
生命(いのち)は石灰石のやうに凝固しなむ
傷哀の涙多(なんだ)く昊天(そら)に盈(み)ち満ちわたり
愛は燃え下りて白蠟(びやくらふ)のごとく溶解失(とけう)せなむ

光より放れしたまへ 否 否
光たらしめたまへ わが神よ

   ◇

「怕」の音読みは、ハ、ハク、訓読みは、おそ(れる)。おそれる、心配する、の意味があります。

「盈」には、満ちるという意のほか、だぶつく、余る、余分といった意味合いもあります。

2016年3月10日木曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「魂は音楽の上に 」と「心望」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ読みます。

   魂は音楽の上に

魂(たましひ)は音楽の上に
狂ひ死したる女児(をみなご)の黒瞳(ひとみ)の追憶(おもひで)の契点(さなか)に
暛(ああ) わが生(せい)悉く色濃くもきらびやかに映れりき
わが怡悦(よろこび)はひそやかに茂林(もりん)の罅隙(ひまびま)を漫歩(そぞろあ)りく也

心の吐息(といき)を愛でいつくしめ
烏呼(ああ) わが七情(じやう)をばかの積雲の上に閃きいづる
賢き金星に鉤掛(かぎか)け
肉身(にくしん)は四月の夜の月光の香気中(にほひもなか)に溶解(とけ)しめよ

   ◇

「罅隙」は、通常「かげき」「こげき」と呼んで、氷河や雪渓の割れ目、クレバス、裂け目、割れ目、亀裂などの意味で用いられます。

「七情」は、7種の感情。「礼記(らいき)」では、喜、怒、哀、懼(く)、愛、悪、欲。仏教では、喜、怒、哀、楽、愛、悪(お)、欲をいいます。


   心望

あまたの泪 心ひとつにて
白日
神殿に額(ぬかづ)き祈る

こころ沈潜(しづ)み
肉は疼(いた)けれど
かく一心に瞑目跪坐(めいもくきざ)し礼拝する斯(こ)の我(み)也

嘻(ああ) 春の夜の朝ぼらけに
全き生活(いとなみ)の銀波だちいとたからかに唱(うたうた)ひ
果敢(いさま)しき揚雲雀ら来啼きそめて
若葉ども角(つの)ぐみ萌えいでては
あめ色の畦道(あぜみち)だも 泪にいとど霑(しめ)りぬる
こころは裸身 潔斎し
神よ 爾(おんみ)にぬかづきて
将(は)た なにものをも瞥(み)ず 聴かざる也

烏呼(ああ) 人間われらの泪をして
わが世を氾濫せしめたまへ
ねがはくは いまの時をして
奇蹟の上代(むかし)に復帰(かへら)しめたまへかし

我身をして さながら一本(ひともと)の艸本(くさだち)の根に復帰(かへら)しめたまへ

   ◇

「跪坐」は、ひざまずくこと。「仏間にはいって行き、跪坐合掌して念仏を称えたのだから」(里見弴「安城家の兄弟」)

「揚雲雀」=写真、wiki=は、空高く舞い上がってさえずっているヒバリ。繁殖期が始まるとオスが囀りながら高く上がり、縄張り宣言の行動を取ります。

「潔斎」は、神仏に仕えるため、酒肉や男女の交わりを避け、けがれた物に触れず心身を清らかにしておくこと。ものいみ。

2016年3月9日水曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「吐息せよ」と「ある宵の祈願の一齣」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ読みます。

   吐息せよ

吐息(といき)せよ
巨いなる靭(つよ)き怡悦(よろこび)にて
幺(ちひ)さき悲哀(かなしび)の坩堝(るつぼ)のなかふかく
おんみの身(かたち)しつらへ
祭壇のもと 跪坐礼拝(きざらいはい)して
あらゆる爾(おんみ)とともどもに吐息せよ

   ◇

「吐息」は、ふつう、落胆したり緊張がゆるんだりしたときに思わず出る息のことをいいます。長め、深めの溜め息に対し、僅かで浅めの印象を受けます。古代ギリシャで「息」は「プシュケー」と言いましたが、この語はやがて命、魂、心まで指すようになりました。日本語でも「息」から「いきる(生きる)」という表現が生まれたようです。

「跪坐礼拝」は、神仏を敬って、ひざまずいてすわり拝むことです。


   ある宵の祈願の一齣

一人(にん)をして生存(いき)しめよ
千人みな死しはてんも
万象ことごとく蠢動(うご)かざらんも あはれ
あはれ かの高山(たかやま)に登攀(よぢのぼ)り
沈みゆく落日の悲壮に心かなしみつつも
内なる神の稜威(みいづ)を頌へむかな
一人をして生存しめよ

   ◇

「齣」(こま)は、切れ目の意。写真や映画で、フィルム上に記録されている枠取られた一画面、小説、戯曲などの一場面のことです。
   
「稜威」は、「りょうい」または「みいつ」と読んで、天子、天皇の威光の意。また「いつ (厳、稜威)」として、神聖である、斎み清められていること、勢いの激しいことなどを表します。『古事記』に 「稜威の男建(おたけび)踏み建(たけ)びて」とあります。

2016年3月8日火曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「心を析け渙らすなかれ 」と「黙禱」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ。

   心を析け渙らすなかれ

心を析(わ)け渙(ち)らすなかれ
秋の日の林間に滴(したたり)落(おつ)る小泉の水沫(みなわ)を矚(なが)めよ
細微(すくな)い水量(みづかさ)は恒に神の黒瞳(ひとみ)のやうに澄み勝(まさ)る
きみが持てる古瓶(こべい)に注心(こころし)て夙(はや)く載(み)たせよ
脣(くち)うるほひ その心性浄化(こころきよま)りしか
まなこを矯(あ)げよ
海に消えゆく白帆(しろきほ)の行衛について知るか
瑠璃色の半霄(なかぞら)に 心三日月のやうに航しゆけど

   ◇

「析」にはこまかく分かつ、こみ入ったものを解きほぐす意、「渙」には水が広がり流れる、氷が溶けて水が広がるさまといた意味があります。

「半霄」は、「はんしょう」とも読み、中天、中空、半空、空の中ほどのことです。


   黙禱

黄色き地平のかなた――世界の隣室より
異相の幽人(ひと)窺へる
人人 俯伏せよ
ことごとく擲(なげう)て 悉皆(すべ)てみな拒け斥(き)れ
草木(さうもく)のひと葉ひと葉の真実(まこと)の道(ことのは)を彳み聴け
威(ちから)ある真実の道(ことば)は命運の将来せる二の世界か
爾(おんみ)はその不可思議なる霊(たましひ)の所在につき困(くるし)むならむ
およそ人間生の彼方につき臆(おも)ひ兜(まど)ふならむ
威ある道(ことば)の中有(そら)のかなたより生れいでて
われらに示唆(さと)すは二の世界也
神のみ姿 所現(あらは)れかつ沈潜(しづみ)ゆくとき
人間(われら)のあまた 枯れかつ萌え出(いづ)る也
神よ 爾の威(ちから)ある道(ことば)を我(ひと)に永劫ならしめたまへかし
稚淳(ちじゆん)なる草木の葉は 嵐を謙抑俯伏(けんよくふふく)しけり
我(ひと)かぎりなく駛(ゆ)きまどへるか
夙(と)く驕れる知見の触覚を亡(なみ)したまへかし
烏乎(ああ) 神よ われら久しくその道(ことば)を聆(き)く
われら頑迷(かたくな)の存在(ひとみな)をして
艸や木の一葉(ひとは)一葩(ひとひら)のごとく在らしめたまへかし

   ◇

「黙禱」は、古くは中国・唐の韓愈の詩にみられる言葉。国内で黙祷が浸透するようになったのは、1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災の1年後の慰霊祭で、地震発生時刻の午前11時58分にあわせて1分間の黙祷をする催しが行われてからのようです。

2016年3月7日月曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「ある刹那に諷へる歌 」と「白き雪の上の大反射」

 きょうは二つの詩を読みます。

   ある刹那に諷へる歌

清潔(きよ)き身(からだ) 世界大にふくらみて
心 おともなく力籠めて地球を押す
騒音なく 更改なく 乖離なし
爾(おんみ) 素樸(そぼく)なる地球よ
臥(ふ)し転(まろ)び
一瞬の後爾は聴かむ
わが体内より鳴りひびく微かなる時圭(とけい)の音を

   ◇

「刹那」(せつな)は、仏教の時間における最小の単位。その長さについては諸説あるようですが、一説には、指をひとはじき(弾指)する時間が、65刹那にあたると言われています。

人間の意識は、一刹那の間に生成消滅を繰り返す心の相続運動である、と説かれることもあるとか。

「諷」の読みは「フウ」。訓読みはよくわかりませんが、「節をつけてとなえる」という意から「とな」へる、と読んでおくことにします。



   白き雪の上の大反射

厳(いかめ)しきとどろきと
鋭利なるその肯定と
噫(ああ) 笑み傾けし太陽の
真白き雪(みゆき)の上の大反射
万有(すべてのもの)銀(しろがね)に甦り 上天(じやうてん)碧(あを)く沈着す

何者かあり かく仮装せしめしぞや
愕ろきて自(おのづか)ら魂の秘奥(おくが)を訪へば
震慴(しんせふ)して 羞明(しうめい)せり矣

何処(いづく)に混色ありや 広く高く大傾斜面高唱するを
喜悦(よろこび)にうち坐乗(のり)てわれ
瞑目し 散策すれば
最黝(いとくろ)き物象の最幺(いとちひさ)き銀色世界の存在哉

さらば 純一鋭雋(えいしゆん)の爾(なんぢ) 世界
臨終(いまは)の心態(こころ)もて 爾を頌がむ也

   ◇

「震慴」は、ふるえ恐れる、ふるえおののくこと。「羞明」は、強い光を受けたとき、不快感や眼の痛みを生じることをいいます。

雪は入ってきた太陽光をほとんど吸収することなく、散乱光として送り出します。すべての波長を反射したときに見えるのが白。それで、雪は白く見えます。

2016年3月6日日曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「海の市民」

   海の市民

透明なれば
こころは 空(くう)に泛(うか)べり
日輪(ひ)は照り波唱(うた)ひ 緑明の虚空(そら)澄みわたりぬ
ああ 肉身(み)はかろく
智慧(ちえ)はおもきかな
吹きおこる疾風を截断して
香気(にほひ)高き積雲の丘に翔ばむ

大地(ち)はつめたく黙(もだ)し寂慮(しづも)り
ここに 聖火(ひ)の秘密を封ず
喧擾(どよもし)は都市(みやこ)を蕩揺(ゆすぶ)り
人人(ひとびと)かくもその生存を咆吼するか
こころは日光(ひかり)のごとく
依的児(ええてる)の洪波にまたがり
かく翔(と)びゆくはいと快き福祉かな

「寂慮」(せきりょ)は、しんみりと静かに思うこと、寂念。

あはれ 渚に臥しまろぶ大魚のむれを視たまひしか
めいめいの白沙(びやくさ)は陽の天恵(めぐみ)を獲(か)ちえて
暖かく亡びし有情(もの)を裛(つつ)みけり
海の市民ほろびしか
夥(おびただ)しき幸の獲物を購(え)ま欲しと集ひ匝る人人よ
悲しき沖の弔音をこのとき聴く歟(か)

『久遠』の呼吸(いぶき) 神の寵児(めぐしご)
わが赴(ゆ)く丘の露けき朝(あした)をともにともに歌謳(うた)はなむ

あはれ 海の異族のほほゑみを覩(み)たまひしか

赴(ゆ)かむかな
悲哀(かなしみ)は涙(なんだ)とともに涓(なが)れたり
心肉(み)は浄(きよ)くかろく 智慧はおもきかな
落日(ひ)の謝しゆくかなた 積雲の丘へ
風を截(き)り 雲かきわけて忙(いそ)がなむ

久遠の生命(いのち)の僚友(とも) 海の市民


「寂慮」(けきりょ)は、しんみりと静かに思うこと、寂念。

「依的児(エーテル)」は、化学では、有機化合物のひとつ。古来天界の物質として考えられ「天に帰ろうとしている物質」と思われていたこともあるそうです。19世紀以前の物理学の世界では「宇宙はエーテルで満たされている」とされ、光などが空間を伝わる際の媒質となっていると考えられていました。それを否定したアインシュタインは、エーテルを物質を表す言葉とせずに、真空であっても重力場や電磁場が存在することから、こうした空間をエーテルと呼ぶことを提唱しました。

「洪波」は、おおなみ、洪濤(こうとう)。

「裛」は、音読みは、オウ、ヨウ、ユウなどで、訓読みはだと「ふくろ」。

「匝」の音読みはソウ、訓読みは、めぐる。周囲をぐるりとひと回りする、という意味があります。基本字は「帀」で、「匝」は俗字のようです。

「覩」は、見る、でも、目睹、じかに見る、という意味があるようです。

2016年3月5日土曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「雙手は神の聖膝の上に」と「空気上層」

きょうは『転身の頌』から「雙手は神の聖膝の上に」と「空気上層」の二つの詩です。

   雙手は神の聖膝の上に

雙手をあげよ
こころゆくまで
脈搏途絶えて
火(も)ゆる血行の ことごとく萎えはてむまで

天心たかく――眶(まかぶち)ひたと瞑(と)ぢて――
気澄み
風も死したり
ああ 善良(よ)き日かな

雙手はわが神の聖膝(みひざ)の上にあらむ

   ◇

「雙手」(そうしゅ)は、 両方の手、両手、もろて。「雙手を挙げて賛成する」などと使います。片手は、隻手(せきしゅ)。

「眶」は、目のふち、まぶち、まなかぶら、「小男の眶を痛く突きたりければ」〈今昔・29・30〉



   空気上層

空気上層を翔(かけ)る
人よ
衆庶(なんだち)なにものぞ
翼 烈風を截断(せつだん)して
手を拡げ 霊(たましひ) 陽光を吸ふ
点在するは弱少幺微(えうび)体。
普天にうごく神のおもみをわれ感ず

   ◇

「幺微」の「幺」(ヨウ)は、もともと糸束(いとたば)を描いた象形文字。絲(シ)を構成する糸は糸束に紐を結んだかたちですが、幺は紐の結びがない状態。糸から下部の小を省いた幺となり、糸たば、細い糸、糸の先、さらには、ちいさい、ほそい、かすかなものを表します。

そして、似た意の「微」と結びついた「幺微」も、小さい、細かいといった意味。ただ、「弱少幺微」というように、ここまで微弱なイメージの漢字を連なると、その細かさにも極めつくされたものの感があります。

*写真はwikipediaから。

2016年3月4日金曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「快活なVILLA」

    快活なVILLA

快活なわがVILLAの四檐(めぐり)に雨降る
新緑の初春の朝(あした)也
おもたき草木の睡眠(ねむり)も新鮮に夢めざめ
大地は 橙黄色(とうくわうしよく)に小唄(さうた)へり
力ある律動の快感哉
かかるとき
都市(みやこ)よりの少人(せうじん)らが
紅きBALCONにゐならび歌(うたうた)へるを听(き)けよかし
野の鳥は口噤(くちつぐ)みはて
性急の筧(かけひ)もいまは呼吸(いき)を呑みぬ
少人(せうじん)らよ
爾ら 無念(ぶねん) 銀声するとき
柔らかきその小胸(こむね)ふかく
滴り落つる透明の泪(なんだ)の奥ぶかく
かの所有者を幻に矚(み)む



きょうの詩には、フランス語が二つ。「VILLA」は、別荘、邸宅。「BALCON」は、バルコニー、バルコニーの手すりのことです。

「檐」は、訓読みでは、のき。屋根の下の、建物の外壁から張り出した部分。庇(ひさし)の意味で用いることもあります。

「噤」は、訓では「つく(ぶ)」と読んで、口をとじる、だまる、つぐむこと。

「筧」は、懸け樋。地上にかけ渡して水を導く、竹や木の樋(とい)。かけどい。

「銀」は、美しい白い光沢を放ち、月と関連づけて語られることも多いのですが、「銀声」は、そんな混じりけのない鋭い色彩を、「少人」すなわち子どもの叫びの喩えに用いているのでしょうか。

「矚」の音読みは、ショク、ソク。「みる」とくに、「注視する」意のようです。

2016年3月3日木曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「非力は褻瀆也」

   非力は褻瀆也

本然のもの 身自(みづから)のもの
万法(すべて)を白金の針金もて縛(いまし)めるよかし
霊性(たましひ)の秘奥(おくが)より そこに泉のごとく
湧きいづるなにものかあり
午後一時の小雨に小濡(さぬ)れて
青春(わか)き海人(あま)も白堤(はくてい)に漁(すな)どれりけり
舞ひ騰(のぼ)る煤煙の力は大海ふかく潜(い)り
海鷗(かもめ)は檣(メイン・マスト)の上に回春の賢き夢を見む
此世界に於て われ
大地に栄えわたる神のひかりと
その孕(はら)みたる暗緑の陰影とを相(み)る
また 工場の大鉄槌(だいてつつゐ)の轟音(とどろき)と
その姉妹なる自動艇(じどうてい)のエンジンとを聴く
なにゆゑに かく爾(なんぢ)は 泪ぐめる
若く かよわき 光なき庶人(やから)よ
烏乎(ああ) 非力は褻瀆也



「褻瀆」は、「せっとく」と読み、尊いものをけがすこと、また、けがれることを意味します。きょうは、この漢字が入った題の詩です。力のないことはけがれることである、とはどういうことなのでしょう。

「本然」の読みは「ほんぜん」あるいは「ほんねん」でしょうか。自然のままで人の手が加わっていないこと。もともとの姿であること。

「白堤」は、中国の浙江省の省都、杭州(ハンチョウ)にある、西湖=写真、wiki=の人工堤防。

東の断橋から錦帯橋を通って西の平湖秋月まで、長さ1キロにわたって西湖を東西に分断する形で造られました。

古くは「白沙堤」と呼ばれ、宋時代には「孤山路」とも呼ばれました。堤防の上には外側に桃、内側に柳が植えられ、春になると桃の花の薄紅色と柳の新緑とのコントラストが美しいことで有名です。

唐代の詩人、白居易が杭州の長官だったとき、西湖の開拓と大規模な水利工事を行ったことから、後世「白堤」と呼ばれるようになったそうです。

「檣」は、音読みは「ショウ」で、訓は「ほばしら」、すなわちマストです。

「鉄槌」は、大形のかなづち、ハンマー。「鉄槌を下す」などと、厳しい命令、制裁の喩えにも使われます。

「自動艇」は、モーターボートのことです。

2016年3月2日水曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「喜悦は神に」

 きょうも、ずいぶんと難しい漢字がつぎつぎと出てくる詩です。

   喜悦は神に

頑迷(かたくな)なる人の子 われに
冀くは白金(はくきん)の手斧を賜(た)びたまへ
固牢(かた)く鎧へるすべての性を脱離(ぬけい)でて
われは遙(とほ)き原始(いにしへ)の故関(こくわん)に復帰(かへ)らなむ
ああ 日輪(ひ)かがやき 雑草(くさ)の葉さざめき
渚に波の美宴(うたげ)あれど
なにものの跫音(あのと)ぞ
逝けるわが寵児(めぐしご) 白薔薇の愁訴を齎(もたら)し来るは
かつて磔刑(たくけい)の嬰児(みどりご)のごとくも
われは響音(ひびき)ある泪もて雙瞳(ひとみ)を洒淅(あら)ひたりき
視よ 当来の仲夏の艶楽の幻像の契点(さなか)に
細微(ささや)かなる蠕蟲(はむし)のかくも産卵せるを
燃え昌(さか)る巨巌は蠢動(うごめ)きいで
蒼白(あをざ)めし金鳳花(きんぽうげ)の一房もどよめきたり
ああ 八方の地平をして力あらしめよ
日輪(ひ)は さだかに照りわたり
波もまた銀声を点(てん)ず

喜悦(よろこび)は神に



「冀く」(こひねがはく)は、頼み事や願い事をするときなどに使う、なにとぞ、お願いだから。

「故関」は、夷狄の侵入から都を防衛するために置かれたむかしの関所のことでしょうか。

日本では、646年の大化改新の詔に「斥候(うかみ)、防人とともに関塞(せきそこ)を置け」とあるのによって、伊勢(三重県)鈴鹿関、美濃(岐阜県)不破関、越前(福井県)愛発(あらち)関の三つの関所が設けられました。

平時には国司が警備をしますが、反乱、譲位、天皇・上皇・皇后の崩御、摂政・関白の死去に際しては、朝廷は固関使を派遣して固めさせました。

789年に廃止されてからは、愛発関が逢坂関にかわって三故関といわれたそうです。

「白薔薇の愁訴」つまりバラがつらさを嘆き訴え、「嬰児」つまり幼児は「磔刑」になるというのです。

「蠕蟲」(ぜんちゅう)は、ミミズ、ヒルなど、体が細長く、蠕動によって運動する動物の俗称です。

「金鳳花」というと卵型の愛らしい黄色い花が目に浮かびますが、それが「蒼」ざめている。凝りすぎの感すらある独特の漢字使用が、そうした雰囲気や色彩感を醸し出すのに大きな役割を担っているようにも思われます。

2016年3月1日火曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「Jouissance」

 きょうの『転身の頌』の詩は「Jouissance」。このフランス語の題は、手元の仏和辞典によれば、楽しみ、享楽、性的な喜び、快感、享受、享有、所有などの意味だそうです。

   Jouissance

われ讃美す
たしかなる自(みずから)のもちものについて
われは 最初にもつとも不可思議なる青春也
われは わが神のいと可憐なる侍童也
われは 嵐吹くがやうに 神よ 爾をおもひ
万物(もの)なべて大海のごとくに抱擁(いだ)きしめむ
われは わが生のかぎりなき持久性に感ず

わが力は 把手(はしゆ)なき玻璃(はり)の手斧にして
わが智は 煖炉の上に舞踏する黄蠟製傀儡(わうらふせいくわいらい)也
わが肉身は 街頭に渦巻く漏電にして
わが業績は 暴風のあしたの砂丘のごとく也
物欲をしてそれ自彊(みづから)にてあらしめよ

われは 孤(ひと)りなり
われは 青春(わか)く
われは 繊弱(かよわ)し
然れども われは 所有す
所有は五月の曲江(きよくかう)のごとく照りかがやき
孟夏の日輪のごとく撫愛(いつく)しむ



「把手」は、手に握る部分、取っ手。「玻璃」は、水晶あるいは、ガラスの異称。

「黄蠟」は、蜜蜂から分泌され、蜜蜂の巣の主成分をなす蜜蝋=写真、wiki=のこと。巣を加熱圧搾して採取します。主成分はパルミチン酸ミリシルなどのエステルで、化粧品やつや出し剤などの原料となります。

「傀儡」 (かいらい)は、操り人形、くぐつ。

自分の力は、取っ手のないガラスの手斧で、その智は、暖炉の上に舞う蜜蝋で作られた操り人形だというのです。

「自彊」はふつう「じきょう」と読み、みずから努め励むこと。「ひたすら自彊して倦(う)むことを知らず」

「曲江」は、唐の首都・長安の東南にある大池で、玄宗皇帝以来その周りは大歓楽街になっていたそうです。

杜甫は、宰相人事の発言に関して粛宗帝の怒りを買い、758年に地方へ追いやられました。その直前に、曲江を題材とした2つの漢詩を作りました。その1つから、70歳を「古希」と呼ぶようになったとか。

「孟夏」は、夏の初め、初夏、または陰暦4月の異称。