2017年1月3日火曜日

飯島耕一「わが母音」④

1953(昭和28)年に書肆ユリイカから刊行した第1詩集『他人の空』の表紙には、フランソワ・ヴィヨンの詩集『吊された者たちのバラード』に挿入されているフランス中世の首吊りの木版画が使われています。

  僕はインクを探す。
  耳をふさいでいても、
  この部屋を通つた者らの
  心臓の鳴りが
  壁に見えて来る日。

  〈黙れ〉の日。
  吊された者らの
  声が壁に見えて来る日。
  汚れた手で
  吊された木版画の二人が、
  手を前で組み合わせて
  はだしでいるのに気づく日。

という「吊された者の木版画に――序詞にかえて――」に始まって、22篇。大学ノートサイズの57ページの薄い本でしたが、その反響はたいへんなものでした。

谷川俊太郎はすぐに会いたいという手紙を飯島に送り、大岡信は『詩学』に長所や短所を指摘した書評を、中村稔はこの新人詩人を褒めたたえたうえで、出版した書肆ユリイカの伊達得夫も激励したといいます。

『他人の空』を出版する直前に飯島は、大学を卒業して就職した保健同人社を1年ほどで目的もあてもないまま辞めています。そして、『他人の空』を出した翌年の1954(昭和29)年には、結核が発病。清瀬病院で右上葉の肺切除手術を受けました。

1955(昭和30)年、長野県小諸市にあったアフターケアの病院を出て、社会復帰。といっても働き口があるわけでもなく、伊達の求めでシュペルヴィエルの詩の翻訳などを手がけます。とともに、伊達の支援で出したのが第2詩集の『わが母音』でした。

  純粋な
  母音の空間に生まれるもの。
  不在であるために
  いつそうぼくを駆りたてる
  いくつもの夢。
  ぼくらは繰返すことしかできないが
  繰返しのなかに
  とある暁の最初の母音のように
  響きあうイマージュがある。
  わが母音は
  ぼくらがすばらしく生きる力を妨げる
  あの首くくるような悔恨よりも強力だ。
  それは光を追う透明さを持つから
  ぼくらは何度も見失いがちになる。

  澄んだ母音を見つけることが
  ぼくらの日課の色どりであればよい。
  それは恐ろしい現実にたち向かう
  ぼくらの 幸福すぎる
  権利なのだ。
  まるい小石を蹴るように最初の母音を蹴りながら
  ぼくは今日も雑踏のうちにまぎれこむ。
  雑踏のなかにいても 一人は一人であることができ
  一人は一人を愛することができる。
  そして二人でつくつた
  まだ秘密の愛の誓いのように
  ぼくはわが母音をひそかに培い、忘れて見失わぬ
  術〈すべ〉をおぼえる。

詩集の冒頭に置かれた「わが母音」について平出隆は、「飯島耕一自身の詩の詩法の、一つの宣言である」として、次のように鑑賞しています。

〈ここで「わが」と付いているのは、おそらくアルチュール・ランボー(1854―91)=写真=の詩篇「母音」を受けてのことだろう。ランボーの「母音」もまた詩法の表明としての詩であった。

しかしランボーが、統一よりも錯乱を詩法とすることによって現実を攪拌しようとしたのに対して、ここでの飯島耕一は、現実に立ち向かうための武器を培う、初初しい準備をしているばかりのようにみえる。

「それは恐ろしい現実にたち向かう/ぼくらの 幸福すぎる/権利なのだ。」――この「すぎる」という語法に、詩として未だに現実に立ち向かっていないことへの自己批評がみえる。

けれどもこうした自己批評が、この宣言を現実の中へ、「雑踏のうち」へさらに押しすすめる力をもつことになる。〉(『現代の詩人10 飯島耕一』)。

ランボーの「母音」というのは、次のような詩です。鈴村和成の『ランボー全集 個人新訳』から抜粋しておきます。

     母音

  A黒、E白、I赤、U緑、Oブルー、母音よ、
  いつかきみたちの誕生の秘密を語ろう。
  A、無惨な悪臭のまわりで唸りをあげる
  きらめく蠅の毛むくじゃらの黒いコルセット、

  影の入江だ。E、靄とテントのあどけなさ、
  誇り高い氷河の槍、白い玉、散形花のおののき。
  I、深紅、吐かれた血、美しい唇の笑い
  怒りのさなか、あるいは悔悛の陶酔のなかで。

  U、これは周期だ、緑なす海の神々しいゆらぎ、
  動物の散らばるのどかな牧場、皺の平安か、
  学究の大いなる額に錬金術が刻みこむ。

  O、至高の金管楽器、奇怪な鋭い叫びに満ちみちて、
  《世界》と《天使》の横切ってゆく沈黙だ。
   ――Oオメガ、《かの女の目》の紫の光線よ!

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